2005年07月

 「台湾少年工の同窓組織・台湾高座会は、日台双方の外交資産である」と私は思う。台湾で元勧銀マンの渡辺義典氏に会った。台湾高座会の話をすると、「ああ、それでわかった。日本が台湾へ再び経済的に進出するころ、派遣されたビジネスマンの間で、伝説のように語られてい ... もっと読む

 一昨年の平成15年10月9日、私たちは座間市民会館ハーモニーホールに、台湾高座会700名のメンバーを台湾から迎えて、留日60周年記念歓迎大会を開催した。留日50周年を10年前に開催したが、10年は夢のように過ぎていた。しかし、この10年間に、私たちは高座日台交流の会の会 ... もっと読む

 平成4年5月のことである。大和市議会の議長だった私のところへ、台湾からお客さんが来た。市長が不在なための代理の面会だった。聞いてみて驚いた。50年も昔に高座海軍工廠の寄宿舎にいた、元台湾少年工の人たちだった。代表は羅安国氏と言った。これが、私の台湾へのめり ... もっと読む

 1947年に起きた、台湾人による中華民国体制への反乱、228事件や、国共内戦に敗北し、台湾へ逃げ込んだ蒋介石の、共産主義への恐怖心が動機になって、台湾には世界最長となった戒厳令が布かれ、あらゆる自由が失われた。台湾少年工の多くも、敗戦下の日本で、「第二次世界 ... もっと読む

 20年8月15日、日本は連合国に対して無条件降伏し、その時点で、台湾少年工の航空機技師になる夢は破れた。その日を境に、帝国海軍は解体に向かい、職場の上司たちはそれぞれの郷里へ帰ってしまった。逆に寄宿舎へは、全国各地へ派遣されていた少年工の仲間たちが帰ってきた ... もっと読む

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