2021年01月

 『対華21か条日中関係史上の一大汚点 大隈重信内閣が悪名高い対華21か条を袁世凱政府に要求したのは、第一次世界大戦中の1915年1月であり、その最後通牒を武力背景に受諾させたのは同年5月であった。欧州列強が第一次世界大戦に忙殺され、アジアを顧みる余裕ない時期ねら ... もっと読む

今朝の産経新聞、「ソウルからヨボセヨ」を紹介しコメントする。 『タクシーに乗ったところ運転手が「あれ\\は許せない!」と怒っている。「どうした?」と聞くと「政府が今年の米韓軍事演習をやるかどうか北に相談するといってるじゃないか」という。文在寅(ムン・ジェイ ... もっと読む

 引き続き、ガッケンのエリア別学科辞典・「日本史」から、第一次世界大戦のパリ講和条約とその結果した中国や朝鮮の民族運動につき、要約して紹介、コメントする。日本は対華21か条の要求という、大きな外交上の失敗をしてしまったようだ。 『パリ講和会議で、アメリカ大 ... もっと読む

 引き続き、第一次世界大戦中のシベリア出兵の経過と、その大戦に結末をつけたパリ講和条約について、ガッケンのエリア別学科辞典・「日本史」から要約して紹介し、コメントする。 『第一次世界大戦は、戦前には予想もつかなかった激しい戦いとなった。戦場では飛行機・戦 ... もっと読む

 ガッケンのエリア別教科辞典「日本史」によると、「対華21か条要求」は次のように説明されている。必要部分を要約して紹介する。 『日本の第一次世界大戦参加のねらいが、中国にむけられていることは、すぐさま明らかになった。開戦の翌1915年1月18日、日本政府は中国に ... もっと読む

↑このページのトップヘ